なぜデータ活用は根づかないのか?本質は分析ではなく構造にある
ダッシュボードも定例レポートも整っていて、会議の冒頭で数字を確認する習慣もあるのに、最終的な結論だけが経験や空気へ戻る場面は珍しくありません。数字を嫌っている人がいるわけでもなく、現場も「根拠は必要」という気持ちは持っていますし、分析担当も丁寧に資料を作っています。それでも「では何を決めるのか」が曖昧なまま時間が過ぎ、最後は「注視します」「次回までに追加で見ます」「一旦この方向で」など、責任が薄い着地になりやすいです。こうした停滞は、現場にとっては作業が増えるだけで前に進まない感覚を生み、マネジメントにとっては説明責任の不安を増幅し、分析側にとっては「見られない前提で作る」徒労感を積み上げます。
意思決定の場でデータが効くかどうかは、分析の高度さよりも「データが入る位置」と「入った後に進む道筋」で決まります。問いが曖昧なまま指標を増やすと、解釈の分岐が増え、会議は説明で消費されます。説明が増えるほど、反論できる余地も増え、誰かが決めた瞬間に「別の指標では逆です」「期間が短いです」「定義が違います」といった返しが起きやすくなります。すると決めることがリスクになり、決めないことが安全になります。安全が積み上がると、データ活用は「あるのに使われない」のではなく、「使うほど決めにくいから避けられる」状態へ変質します。
EN
JP
KR